長いタイトルですが、自分とは何か?という問いに答えるとすればそうなります。
これまで長年生きてきましたが、その時々で自分なりに最善を尽くして生きてきたつもりです。
その結果として今の自分があるわけですが、現在の状態の良し悪しは横に置くとして、とにかく今の自分がどのように形成されたのかと言えばそれは、これまでに経験してきたことの集大成、つまりその経験の中で身につけてきたことの価値観が、いまの自分自身ではないか、そう思うのです。
だから、20歳のときの自分は20歳の時までに経験したことがもとになってできており、40歳は40歳の、そして60歳には60歳の時点までで経験したことに基づいて自分というものが作りあげられていると思います。
こういった感覚については多くの方に共感いただけるかと思います。
今の自分とこれからの自分
先ほど述べたように、今の自分はそれまでに経験したことをもとに形成されており、それは言い換えれば、その時点までの経験をもとに作り上げた価値観というのものが「自分そのもの」なのだと言えると思います。
その自分なりの価値観ですが、それはほとんどすべてが他者から享受したもののからできており、他者というのは、もちろん自分つの場合もありますが、書籍や一般常識という有形無形の人間以外のものの場合も多々あるように思います。
そしてそれらすべてが、自分という一人の人間の中で拡販され優劣がつけられ、やがて統合されていき、その時点で一定安定したものが、自分の価値観、あるいは自分そのものということです。
これまでの自分が今述べたようなプロセスを経て形成されるように、これからの自分は今の価値観にさらなるいろいろな助かの価値観を付け加えて、そのうえで再統合されて形成されるのです。
その過程ではいままで重要視してきたのに、その後の経験により軽減される価値観もあるでしょう。
あるいは、別の何かが、自分にとって大切な価値あるものになったりすることもあるでしょう。
このようにこれからの自分がどのような価値観を持った人間になるのかは、無限のバリエーションがあります。
ですが、多くの人間は年齢を重ねることにより、より保守的になり、どうしてもそれまでに身につけた価値観を優先させよう、その後の人生においてもその価値観を守ろうとする傾向があります。
これは生物としての生き残り戦略上、意味のある選択パターンだと思いますが、一方で人生の可能性の選択肢を狭めている可能性もあるように思います。
年齢に関係なく、いつだってこれからの自分を創っていける
先ほど述べたように年齢を増すにつれ、誰しもそれまでに形成した自分なりの価値観にこだわるようになるものです。
これはある意味仕方のないことなのかもしれません。
ですが、本当はいまこの瞬間でさえ、それまでの自分が作り上げた価値観に新たなものが加わり続けているのです。
そしてたいていの場合は、その新しく入ってきた価値観をあまり重要視せず、大したことがないものであるように扱うようにバイアスがかかっているのです。
この傾向は年齢が増すほど強くなり、それが「年寄りは頑固である」というステレオタイプ化された認識へとつながっています。
ですが、本当はいつだって、誰だって、その時点からのバリエーションは無限なのです。
もちろん、いま貧乏な人が明日大金持ちになっている、というバリエーションの可能性は限りなく低いですが、ゼロではありません。
このゼロではないということの意味、それを軽くとらえるのも、年齢を増すことにより強くなるバイアスの一つです。
ゼロとそうでないこととの間には、それこそ無限の展開の可能性が、そこには含まれているのです。
この話は長くなりますので、また別の機会に。
結論を言えば、明日はいつも無限の可能性を含んでいる
答えを先に書きましたが、要するにそういうことです。
でも、そう思えない人が、かつての自分も含めて非常に多いので、少しでも元気になればと思いこの記事を書きました。
正直に言えば、私もいまだに昨日までに創り上げた価値観にとらわれて、明日からの無限の可能性をあきらめてしまいそうになることが多々あります。
ですが、こうしてブログに自分の経験を書き綴ってくると、頭が整理され、心も整理されるためでしょうか、少しずつですがわかってきたのです。
本当にあなたの明日は、無限の可能性を含んでいます。
一日の範囲での変化量はさほど感じられなくても、そこに自分の意志を込めるとき、あなたの未来の展開は無限のバリエーションを持つのです。
これは本当のことですから、とりあえず、「なんかわからんけど、そういうことなんだ」と受け入れてみてください。
もちろんこれがそうたやすいことでないことは、私自身がよーくわかっています。
ですから、これからも手を変え、品を変え、あなたの心に響く記事を書けるように取り組んでいくつもりです。
偉そうに聞こえたらごめんなさい。
私もすべてを分かった人間ではありません。
走りながら、こういうことかな、と感じたことをそのたびごとに、こうしてい記事にしていくしかできませんので、あなたと同じです。
そして、このようにいろいろと気づいたことをもとにして、これからも明日がより良いものになるように生きていくだけです。